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ヒストリーof社労士

» vol4. 法施行後の諸団体の動き

法施行は12月はじめころとささやかれはじめた43年8月末、制度が適切に運用できるよう協力していこう——こうしたムードが各関係、関連団体の間に高まってきた。特に無条件で資格を取得できるとされた行政書士会の動きは活発であった。
 日行連や保険士会と最初の接触を持ち、9月には日行連側幹部と社会保険士会幹部が会談、それぞれの会の実情や今後の問題などについて話し合った。
 また、関西の3つの社団法人(大阪・京都・兵庫の労務管理協会)も幹部が上京、保険士会と懇談、さらに在京の関係団体のなかでも保険士会と接触する団体が増えてきた。そして今後の連絡、資料・情報交換や提供について申し合わせを行うなど、保険士会を中心に一連の友好ムードが流れていた。
 ところで、いきがかりを捨てて大同団結をという考え方は、法施行以前に労務管理士団体の間に芽生えていたが、その動きは決して友好ムード的なものではなく、不信感が先行したような形で推移した。
 私は、42年6月、同年2月に発足した社団法人日本社会保険士会東京支部運営委員に就任、保険士会の一員として法施行後の団体一本化に精力を傾けようと考えていた。 
 私が保険士会員だから他の団体の動きをとやかくいうのではないが、日本労務管理士協会を中心とする各関係団体の大同団結の動きは、管理士協会がいきなり合併とか吸収などの形で行われようとしたところに問題があったようである。
 たとえば、41年8月、全日本労務管理士会は管理士協会との対等合併について理事会が承認、これを議題として臨時総会を開くが、総会では会員の反対にあって否決されてしまった。その理由は、㈰対等合併といいながら協会に入金をとられる㈪新法発足に際して公益法人の会員が有利というが、法は万人に平等なのではないか——などが主なものだったという。
 つまり、協会が労働省公認の公益法人という”特権”を振りかざしての合併話ではないか、というわけである。同会だけでなく他の団体にも同様な合併話が持ちかけられたともいわれ、協会の姿勢が中小団体の反発を招いたことも事実だったようである。
 43年5月、東京・一ツ橋の学士会館に協会の招きによる労務管理6団体の幹部11人が一堂に会した。この会合では「従来のいきがかりはともかく、新法もできたのだから今後はお互いに協力しよう」といった内容でとくに業界編成については話題にのぼらなかったという。
 この会合をきっかけに、協会は、日行連は保険士会などの幹部らと再々懇談を行っているが、法成立を協力に推進した協会が主催した会合だけに、各団体の統合、吸収など、いわゆる大同団結(業界再編成)がかなり具体化するとの見方が強く、その成り行きが注目されたものであったが、いっこうに統合問題は具体化せず、逆に各団体では協会に対する批判の声が高まるという事態に進んでしまうのである。

 

 

当時、日行連のある幹部は「社労士法は中西實氏の全力投球によって成立したといっても過言ではない。だからといって協会がその功績をハナにかけて周囲に押しつけてはいけない。法成立の時点で一線を画し、その後は”白紙”の状態にしてスタートラインにつき、一緒に力を合わせていくのだというフトコロの大きいところをみせるべきだ」と語っていたのが、この間の事情をよく物語っている。
 協会の中西会長が労働省出身だけに、協会と労働省の間には特別な関係があるのでは?といった疑心暗鬼が諸団体にあったともいえる。ともあれ業界のリーダーと目されていた協会に批判が集中し、誤解が誤解を招いて将来の団体問題に禍根を残すことになった。
 協会がなぜこのような強気の姿勢をとったのか。協会は既に登録されている労務管理士の資格移行が簡単に行われることを強調すると同時に、従来から行ってきた労務管理士通信教育のほか、新たに社会保険労務士通信教育、国家試験受験専攻科を設けるなど、新会員の獲得にも力を入れた。このことは同協会の手で一人でも多くの社労士の誕生をねらっていたといえる。
 さて、経過措置で示された選考申請期限は昭和44年3月31日が最終締切とされた。5月中旬には無考査組(行政書士など)の社労士が誕生、選考考査は7月10日と発表され、これをもって各団体とも3月以降は名実ともに社労士団体となるための体質改善を迫られた。さらに主務官庁の「関係団体が統合し、全国一団体とするのが理想」とする基本構想が示されるに至って、各団体間には以前とは異なった大同団結を求めるムードが高まってきた。
 こうしたなか6月に、私は保険士会本部の理事に就任、統合団体実現へ邁進することになる。
 4月、東京の労務管理5団体が連合会を結成、名称は「日本労務管理士団体連合会」(略称日管連)である。同連合会の結成は新年に入って話がまとまり、三ヵ月後にはスタートするという超スピードぶりだった。これも業界全体の安定発展という見地から、将来の大同団結へのワンステップという関係者の熱意の表れだったといえる。連合会結成を契機に労務管理士協会、保険士会の両公認団体と日行連などの間で統一問題が積極的に討議されるようになる。

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