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両団体の合併一本化への動きは既成同盟が結成された時点からにわかに活発化していたが、51年3月30日、社労連常任理事会は、議題のトップに「団体合併一本化促進に関する件」をあげ、翌31日、日社労との間で一本化についての話し合いが始まった。
3月31日に開かれた両団体の第1回目「団体の一本化に関する連絡会」以来4回にわたる協議のすえ、合併一本化の基本原則案は合意に達し、6月1日、両省庁担当官立ち会いのもとに合意事項の確認書が取り交わされた。
主な内容は、@組織は中央に全国唯一の社団法人として厚生・労働両大臣の許可団体を設け、地方には都道府県単位の下部組織を置き、その運営は自主性あるものとする。A名称は本部については社団法人全国社会保険労務士会(略称=全社労本部。のち設立総会で全国社労士会に変更)とし、下部組織は社団法人全国社会保険労務士会の下に都道府県名を置く(たとえば東京の場合は東京会。のち設立総会で都道府を頭に冠することとした。)
である。詳しいことは全社労刊行の「20年の歩み」にあるので省略する。
「昭和43年12月2日の法施行以来社会保険労務士の悲願とまでいわれた団体統合が一応日の目をみた。昭和51年9月9日、東京・千駄ヶ谷、野口英世記念会館に社労連(中西實会長)、日社労(古井喜實会長)両団体から発起人110人、代議員180人が集い新団体設立総会が開かれ、ここに全国社会保険労務士会が誕生した。新団体は社団法人の許可申請を厚生・労働両大臣に提出。11月1日、正式に発足する予定である」
これは日本経営新聞第772号(昭和51年9月20日付)の記事から抜粋したものである。記事はまだ続く。
「新団体の会長には古井喜實氏が選ばれ、会長代行として中西實氏が会を統率する。新団体とはいえ、事実上社労連と日社労の両団体の対等合併であり、会長問題は事前の根回しにもかかわらず、一時は発起人会が紛糾しそうな形勢を示したが、社労連側の"小異を捨て大同につく"という譲歩によって古井会長、中西会長代行の線で収まった。
設立総会における審議の過程で特に、@会員の権利義務(開業・非開業の会費格差と会員権行使の関連性)、A会長・会長代行という代表権2人制問題、B新団体の性格と地方会との関連 など定款上の不備が指摘されたが、すべて翌年の第1回通常総会までに修正充足をはかるという付帯条件のもとで議事が進められ、審議事項はほぼ原案通り可決された。
一部の代議員(主に社労連)から"あまりにも(新団体設立が)拙速主義にすぎる"と不満の声も聞かれたが、これも先に結成されて両大臣あてに社労士団体として社団法人の許可申請をすでに提出している日本社労士団体中央会(深谷隆司会長)とのからみもあり、また何が何でも新団体設立を急がねば・・・という背景があったため(拙速も)やむを得ない(役所筋)というのが本音のようである。
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