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法定団体が設立された場合、組織はどのような形をとるのが理想的なのか。これは両団体と日行連に与えられた大きな課題でもあった。形としては@都道府県別に単会を設けて連合会を組織する、A全国を通じて一個の会を設け、都道府県別に支部を置く、B主務官庁の出先機関所在地または管轄区域ごとに一個の会を設け、それぞれに支部を置く という3つの形が考えられる。
管理士協会はAの方式を持論としていた。この構想に対して異論を唱える人も少なくなかった。たとえば、「6万とも7万ともいわれる社労士の場合、中央に本部を置き都道府県に支部を設けて運営できると思ったら大きな間違いだ。全国で18,000人いるという税理士でも国税局単位に税理士会を設けて連合会を組織している。こうしなければ財政的にも行政的にも満足な運営はできない」と、これは税理士系労務管理団体幹部の弁だった。
また、「社会・労働保険行政は都道府県の地域性、特殊性というものを考慮して推進されている。したがって、中央の画一的な指導や施策、監督方針を地方に流すという機構や組織づくりは絶対に不可能。都道府県別単位会 連合会組織がベターだ」(日社連)などの主張もあった。
保険士会は「都道府県別に単会を設けることが理想」としながらも「現状では単位会だとか支部組織にこだわる必要はない。要はいかにわが会の所属会員の権益を擁護するかを前提に組織づくりを考える。既存の組織にこだわることもなければ、無視することもない」ときわめて柔軟な姿勢で臨んだ。ちなみに保険士会は本部支部組織であった。
この44年10月現在、社労士免許の取得者は第5回交付までに約28,000人に達している。
当時の類似団体では、税理士会の18,000人、行政書士会が12,000人という実態からみて、社労士がいかに多いかがわかる。しかも、社労士有資格者の免許申請状況からみてもその数はさらに伸びるものと予測された。
業界再編は諸団体が業界主流の管理士協会と保険士会への吸収合併という形で進められた。44年10月には全日本労務管理士連合会が保険士会と合併。また、全日本労務管理士会は「労務管理士は(法にいう)類似名称である」として、法律上使用期限ぎりぎりの44年12月1日解散した。同会解散後、会員各自の意志によってほとんどが保険士会に入会している。このほか、労務管理士協会には一団体(会員約1,000人)、保険士会には4団体(6,200人)が合併している。
中小団体の淘汰も進み、第1回国家試験も実施された44年、業界は本格的な再編成に向けて動き出す。業界の二大主流となった管理士協会と保険士会が合併協議を持つ。
同協議会は44年10月30日の第1回協議会(東京・平河町・三会亭)を皮切りに、11月7日(同・外神田・明神会館)、同15日(同・永田町・薬業健保会館)の3回開かれている。協議会には双方から副会長以下常任理事数名が出席、第1回、第2回とも和気あいあいの中で進められた。このため早ければ12月中旬までには合併が実現するという楽観的な雰囲気が協議会を支配していた。
1回、2回の協議会で名称、目的、組織、会費、役員などの基本要綱について双方の合意が得られ、設立方式は両団体とも最大の関心事であったが、「2団体解散、新団体設立」を了承し、いわゆる対等合併の線で推進することに合意した。
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